Walking DialogueVol.3

民俗学者と歩く瓜生山

山城(やまじろ)としての瓜生山

C. 瓜生山 麓
D. 茶山

少し歩くと、展望がきく場所に出る

ここからすごくよく見えますよ。

本当だ。

一同

すごーい。

どの辺が見えてるんだろう? そんなに遠くじゃないところが見えているはずです。

こうやって見るとお城を山の上に作ろうと思いますよね。

ここに逃げれば京都の難を避けたらすぐ降りていけるし、もっとヤバかったら滋賀にも逃げられる。そういう様子見をするポイントだったみたいです。

茶山は名前の通り本当に山なんですね。

歴史の教科書にも出てくる茶屋四郎次郎という安土桃山時代・江戸時代の豪商がいますが、その屋敷がこの辺にあったから、茶屋の山で茶山だそうです。そういうベタな地名です。

しばらく歩いた後、進行方向に傾斜が急で険しい道が見える

凄いところに来てますよ(笑)!

京都一周トレイルの推奨コースではないんだけど、頂上を目指すならここを登れということです(笑)。

登りましょう。先日の打ち合わせで「頂上まで20分くらいで楽勝ですよ」と聞いていたので、こんな道とは思わなかった(笑)。

険しい道を登り、しばらく歩くと開けた場所に着く

ここも一つの頂上ですね。

山城(やまじろ)研究によれば、こういう山中の平地が陣を築いたりする場所になり得るようです。真っ平で見晴らしもいいから、山城(やまじろ)時代には恐らく兵が駐留したりするような場所だったのでしょう。

城といっても、一般的にイメージされる天守閣があるような城が建っていたわけではないんですよね?

そうですね。構造としては山の上に平地があって、あとはせいぜい侵入を阻むための空堀みたいなものを設けるくらいですかね。専門家からすると、山の上に人為的な平地があることが分かるそうです。

平地を作ったということですか?

自然地形を生かしながらも、ある程度造成して平坦にしているんだと思います。

地元の古老とアカデミックな知識を持った人に、同時にアクセスできる地域

E. 瓜生山 中腹

対談を行った11月末はちょうど紅葉の季節で、山上からは絶景を望むことができた。

今回は菊地さんの研究対象でもある、京都市立北白川小学校の子どもたちが地元を調べた内容をまとめた書籍『北白川こども風土記』(山口書店、1959)の存在を知ったこと、そして菊地さんが書いた瓜生山についての記事を読んだことがきっかけで、「一緒に瓜生山に登りませんか」とお声掛けしました。『北白川こども風土記』には、瓜生山についてどのようなエピソードが出てくるのでしょうか。

山城(やまじろ)に関する話以外には、白幽子という仙人について書かれています。白幽子は養生術という体を整える奥義を極めた人で、それを白隠という坊さんに伝えたといわれています。その養生術は近代になって大ブレイクしました。伝説上の人物なので真偽は定かではありませんが、白幽子がこの山の中で修行してその養生術を編み出したそうです。今日は山を降りる途中、白幽子が修行した場所に立ち寄りたいと思っています。

それは北白川の子どもたちが、どういった方に伺ったお話なのでしょうか。

地元の郷土史家の方に伺ったそうです。

ただ単に道を歩いていても出会えない方ですよね。誰に聞きに行くかはどうやって調査したんだろう?

小学校って地域情報が集まるプラットフォームなんですよ。「町内にどういう人が住んでいて、どういう家族構成で」といった情報が蓄積されているから、「これについてはあの人に聞けばいい」みたいなことが分かるんでしょう。さらに北白川の特殊性として、京都大学っていう高等学術機関があって、そこに勤めている人が周りにいっぱい住んでいるということがある。地元の土着的な知識を持った古老とアカデミックな知識を持った人に、同時にアクセスできるというのがこの地域の特殊な条件としてあります。しかし特殊であるが故に、頑張って『北白川こども風土記』を作ったにも関わらず、他の地域の先生などから「あんたのとこは特別だよね」「あんたの地域だからできたんや」と思われて、放置されるという帰結を招きました。そのあたりの事情は、近刊の『学校で地域を紡ぐ―『北白川こども風土記』から―』(菊地暁・佐藤守弘編、小さ子社、2020年)という本で詳しく紹介しております。さまざまな分野の研究者やアーティストとコラボしたユニークな作品に仕上がっていると思いますので、ご覧いただけましたら嬉しいです。

さらに山道を登る

山道を登りながら、たくさんの地蔵を目にする。